2013年12月12日木曜日

お兄ちゃんがついに勝った!宮里優作 号泣11年目初V 男子プロゴルフ

『もう「藍ちゃんのお兄ちゃん」じゃない!』
宮里優作(男子プロゴルフ)

男子ゴルフツアー日本シリーズJTカップ最終日
(12月8日東京よみうりカントリークラブ=7023ヤード、パー70)














お兄ちゃんがついに勝った。3打差の首位で出た宮里優作選手が
71とスコアを1つ落としながらリードを守り、通算13アンダーでツアー初優勝を飾りました。
応援に訪れた妹・藍ちゃんや両親、家族の応援を力に変え、ツアー11年目での栄冠でした。

この優勝により「3年シード」の権利も獲得。

最終18番パー3、3打目のアプローチがカップに消える。
宮里は両手でガッツポーズを決め、
キャディーと握手を交わすと、次の瞬間、膝からその場に崩れ落ちた。

全身の力が一気に抜けて立っていられませんでしたね。^^;

両親、家族、そして大勢のギャラリーが見守る中、口ひげをたくわえ、
ベテランと呼ばれる年齢になった33歳の男は四つんばいになって号泣。

プロ転向後、初めて単独首位で迎えた最終日。
前夜は眠れず、1番でドライバーショットを右に曲げ、いきなりボギー。
それでも「感情を入れずに次に向かうことを心がけた」と必死に気持ちを切り替えた。

しかし6、7番の連続バーディーの後に8、9、10番で3連続ボギーを叩くなど
なかなかプレーは安定せず、ギャラリーから「優作ちばりよ(頑張れ)」の声援が飛んだ。

そして3打リードで迎えた最終ホール。重圧から第1打を左に曲げ、ボールは左ラフに。
第2打もオーバーさせて再び深いラフにつかまった。

だが「トリプルボギーも覚悟した。グリーンの上で止まってくれたら」と、
開幕前の練習で丸山茂樹から教わったSWでふわりと浮かせるロブショットが
歓喜のフィナーレに導いたのです。うむ神業でしたね。

11年のオフから妹・藍が暮らす米アリゾナ州で合同合宿を敢行。
妹も師事するコーチのピア・ニールソン氏の下で「ビジョン54」
というメンタルトレーニングに励んできたとか。

以前はラウンド中にイライラしてキャディーバッグを蹴り飛ばすことも、
徐々に感情の起伏をコントロールできるようになったのが大きかったようです。

「いつもは藍ちゃんのお兄ちゃんと呼ばれるが、
きょうは(ギャラリーに)名前を呼んでもらえて力になった」と苦笑い。。。^^;

まずは2勝目が大事だと思う。勝利を重ねて強いプレーヤーになりたい。
と元怪物ルーキーはさらなる高みを見据えた。

プロ転向後はすぐにでも優勝すると期待されていましたが、初Vまで11年ですか。
でも、まだ33歳ですから、今まで費やした時が無駄ではなかったことを証明しつつ、
妹さんにも負けない強い選手になってほしいですね。


2013年12月11日水曜日

高梨沙羅 個人戦W杯開幕V~混合団体に続き2日連続!

ノルディックスキー・ジャンプ女子の個人第1戦が
ノルウェー・リレハンメル(HS100メートル、K点90メートル)
で行われ、昨季総合優勝の高梨沙羅選手が貫禄のジャンプで優勝しました。
 
102メートル、96・5メートルの飛距離だけでなく、
高い飛型点も稼いで合計286・0点。
2位に16点の大差をつけ、前日の混合団体に続いて2日連続の優勝。

今季も女王に死角なし。
そう思わせるような圧倒的な飛躍のようでしたね。

1回目はヒルサイズを越える102メートル。
ぴたりと張り付いたような空中姿勢でテレマークも決まり、
飛型審査員も軒並み19点台をつける。

「今までに19点が出たのは何回かしかないと思う」
と昨季までの課題だった飛型点でも大幅に得点を上積み。
2回目も風が強い中でしっかりとまとめる。。。

予選でのジャンプを見た小川孝博チーフコーチは
「アプローチで少し早めに体が動いていた」と修正点を指示。
それをきっちり直して大ジャンプにつなげる高梨選手に
「すぐに直せるのが凄い」とうならせた。

開幕前日には英BBCから取材を受け、今後はソチ五輪の
公式予告映像用の撮影も予定されているそうだ。

関係者は「日本では浅田(真央)と高梨だけじゃないか」と、「ソチ五輪の顔」の一人として、ますます期待が膨らみます。

高まる期待にふさわしい勝ちっぷり、
しかも前日の混合団体に続いての2連勝~♪

高梨選手の五輪シーズンが最高の形で幕を開けました。
ほんと期待していますよー。
あまりプレッシャーをかけ過ぎないようにね。^^;

2013年12月8日日曜日

ママさんランナー赤羽有紀子さんが引退へ 1月の大阪国際が最後

女子マラソンで2011年世界選手権5位に入り、
「ママさんランナー」として知られる赤羽有紀子選手が、
大阪国際女子マラソン(来年1月26日)を最後に
現役引退することが発表されました。

栃木・真岡女高から城西大を経て実業団入りした赤羽さんは
結婚、出産後も夫の周平コーチとの二人三脚で競技を続け、
08年北京五輪に5000メートル、1万メートルで出場。

その後マラソンに転向し、世界選手権には09年大会を含めて
2度出場したが、12年ロンドン五輪は補欠に。


娘を出産して走り続けることができたのは、
関わってくださった全ての方々のおかげ。

これからもスポーツの世界に関わって
いければ。

まだ出場予定レースがあるので、
最後の最後まで全力で駆け抜けたい。
とコメントしています。





もっといい成績を残せる実力者だと思いますが本当に残念です。
今後も陸上界に関わってほしい人材ですね。
ひとまずお疲れさまでした。


コストやリソース面でのメリット