2015年11月18日水曜日

38歳の現役続行決意 多村仁志外野手の背中押した「まだ、できる」金言とは

もう一花、咲かせる。

今季限りでDeNAを退団した多村仁志外野手が他球団での現役続行を目指し
戦力外通告を受けた翌日から週5日のトレーニングジムで体をいじめ抜いているそうだ。

「先が見えない状況で不安がないと言えばうそになる。
でも支えてくれる家族、ファンのためにもまだ辞められない」。

今年は数多くの名選手が現役引退を決断しました。
山本昌、斎藤隆、谷繁、西口、谷、和田、小笠原、高橋尚、井端、高橋由…。

同世代の金城も現役生活に別れを告げた。
「金ちゃん(金城)はずっと一緒にやってたからね…。
 なんでこんなにたくさん辞めるんだろう、
 まだみんなできるだろうと思ったから驚いた」
と複雑な表情を浮かべる。

プロ21年目の今季は4試合出場のみで打率・143、0本塁打。
5月3日に登録抹消後は、1軍で出場機会がなかった。

イースタンでは若手育成のチーム事情で毎試合2打席限定だったが、
打率・319、7本塁打。動体視力の衰えは感じず故障もない。
それでも4カ月以上の2軍暮らしは、気持ちがいつ切れてもおかしくない状況だった。

「この球団を離れる理由はない。
ファンも熱いし、地元の横浜で現役生活を終えるつもりだった」
と心の葛藤を吐露する。



それが、他球団での現役続行。
決断を後押ししたのは尊敬する先輩、恩師の言葉だった。

9月下旬。テレビをつけると、
06年の第1回WBCで共にプレーしたイチローの特集に目がくぎ付け。

野球評論家の佐野慈紀氏が
「もう少し(現役を)やりたかったなあ」とつぶやくと、
イチローが「じゃあ、やればいいじゃないですか。何で自分で限界をつくるんですか」
と聞き返した。

その言葉が強烈に心に残り、自分の気持ちに正直になれた。

「そうか、やれると思うんだったらやってもいいんだ」。

イチローだけではない。DeNAの退団が決まりソフトバンク、
侍ジャパンで指導を受けた王貞治ソフトバンク球団会長に電話。
「悔いの残らないように頑張れよ」と励まされ、

「今までたくさんの金言を頂いた。力がみなぎるよ」と決意が固まった。

04年に日本人球団初の40本塁打を放つなど
通算打率・281、195本塁打。

「打席での威圧感が違う。敵になりたくない」
とDeNAナインは口をそろえる。

昨年まで同僚だった中村紀洋も
「いろんな選手を見てきたけど、多村は天才。あの打撃技術は凄い」
と一目置くほどだった。

引き際が近いことは自覚している。でも今ではない。
「次の球団が最後になると思う。チャンスがあればどこへでも行く覚悟です」。

天才多村が、まだ、できる。
と言っていますからね、まだまだやれます。。。



2015年10月30日金曜日

村上茉愛 大技シリバス成功し6位と健闘/体操の世界選手権

体操の世界選手権第7日は、10月29日、英国のグラスゴーで女子個人総合決勝が行われ、村上茉愛(日体大)は4種目合計57・132点で6位と健闘。

予選を突破した24人で争われ、村上は得意の跳馬と床運動で高得点をマークし、
全種目で安定感が光りました。

2年前に種目別4位となった床運動で決勝を戦ったことはあるが、個人総合は初めて。
それでも、子役としてドラマやCMに出演した経歴を持つ大学1年生は「すごく楽しめた」と気後れすることなく舞った。

3種目目の床運動でH難度の大技「シリバス」を決めて13位につけ、最後の跳馬は15点に迫る高得点で上位に食い込んだ。

床運動でH難度の大技「シリバス」を決める村上茉愛の連続合成写真




当初は補欠にも入っていなかったが、故障者続出で渡英が決まり「想像もしなかった」という出場の機会まで巡ってきた。
団体の五輪出場権獲得に貢献し、個人でも世界に名前をアピールした。

「すごく楽しめた。リオ五輪の前年に実績を残せて来年につながる。来年は今回よりも上に行けるようにしたい」

    体操 H難度 (女子:床)シリバスとはこんな大技だった。





2015年10月2日金曜日

世界も注目の五郎丸 花園でのミスで成長/ラグビー日本代表

ラグビーワールドカップ(W杯)イングランド大会で、日本代表は10月3日、サモアと対戦する。チームの柱として初の決勝トーナメント進出の鍵を握るのが、福岡市出身のFB五郎丸歩選手。今大会でも状況に惑わされない強い気持ちでチームを引っ張るが、その原点は佐賀工高(佐賀市)時代にあった。

五郎丸選手自らが「ターニングポイント」と語る試合があるそうだ。それは、2003年1月3日の全国高校ラグビーフットボール大会(花園)での準々決勝・東福岡戦。

当時2年の五郎丸選手にとって、この大会は特別な意味を持っていた。一つは、小中高と同じチームでプレーし、「目標」でもあった1学年上の兄亮さんと一緒にプレーする最初で最後の花園の舞台だったこと。そしてもう一つ。大会前に、幼いころから熱心に応援してくれた祖父を病気で亡くしていた。

当時のチームメートの井石進也さんは「歩はおじいちゃん子。亡くなった時はとても落ち込んでいた。お兄さんと最後の大会でもあり、人一倍気合が入っていた」と振り返る。

しかし東福岡戦の開始直後、五郎丸選手は相手のキックをキャッチし損ね、トライを奪われた。このシーズンはそれまで東福岡と2度戦い、いずれも勝利していたが、動揺したチームはそのまま12-58で大敗した。

当時監督の小城博監督は「五郎丸だけでなく、直前の高知国体で優勝しチームにおごりがあった」と言う。小城さんは「グラウンドで失った自信と周りの信頼はグラウンドで取り戻すしかない」と、佐賀に戻った後、五郎丸選手とマンツーマンで猛特訓を始めた。

通常練習でくたくたになった後、前後左右にボールを蹴り、ひたすらキャッチし、すぐキックさせる練習を間断なく繰り返す。時に1時間半を超えることもあった。現在の部員たちに「五郎丸シフト」の名前で恐れられる居残り練習はこの時から始まった。

小城さんは、五郎丸選手の活躍で歴史的な勝利を収めた南アフリカ戦と次のスコットランド戦を現地で観戦し、声援を送った。その小城さんが最も興奮した場面が、スコットランド戦の前半終了間際、相手のトライを阻止したタックルだ。公式サイトで大会第1週のタックル1位にも選ばれ「高校時代の猛特訓がワールドクラスのディフェンスにつながった」と語っています。

小城さんはサモア戦に向け「高校のころ苦しい思いをしたからこそ、失敗を繰り返さなくなった。世界に通用する日本人初の大型FBとして、任務を遂行してほしい」とエールを送る。

サモアとアメリカを撃破して、新し歴史を作ってほしいですね。。。





コストやリソース面でのメリット