サッカー復興支援チャリティーマッチ
(3月29日、日本代表2-1Jリーグ選抜、大阪・長居)
踏み出す一歩に、
1本のパスに、小笠原は万感の思いを込め。。。
「東北人魂」一番目立ってました。
■http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/03/30/gazo/G20110330000529560.html
■http://www.sanspo.com/soccer/photos/110329/scc1103292206018-p21.htm
「プレーしている間、そればっかり思っていましたね。
1人1人の顔が浮かんできました」
まぶたの裏にあったのは、岩手で目の当たりにした光景だった。
鹿島が活動休止になった翌日の17日から
自家用車に援助物資を積み、日本海周りで向かった。
ガレキの海になった故郷。
高校時代を過ごした大船渡市や
夫人の出身地・陸前高田市の避難所で、
懸命に生きる被災者と、救助に当たる人々の必死な姿を見て
みんな歯を食いしばって生きていた。
と、深い思いを背負ってピッチに立った。
震災が起きた11日以降は、2週間以上練習ができなかった。
右ひざ痛も抱え、本来の姿ではなかったが、
「みんなが助けてくれた。
サッカーも助け合いなんだと思いました」と。。。
宿舎やスタジアムでは、
J選抜チームの選手が小笠原の話に耳を傾けた。
長期的支援と東北サッカーの復興を訴える声に
カズや中村俊、中沢らが賛同し選手会や協会も動きだした。
J1仙台所属のFW梁、MF関口も躍動した。
後半30分には
「被災した宮城県民の代表としてプレーした」という関口が、
ゴール右にわずかにそれるシュートでスタジアムを沸かせた。
攻守の起点となった梁は「宮城が早く元に戻れるように」
と前を向き、
この日から練習を再開したチームと本拠地に思いを向けた。
小笠原の発案から選手会も被災地での慈善試合開催を
目指している。故郷への思い、復興への祈りは、
サッカーを通じて確かな形になり始めた。